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地球は暴走温室効果の瀬戸際

地球は暴走温室効果の瀬戸際

七章 その2

農山村における共同体と生態系の復元が必要不可欠

今後の社会の事を考えると、過疎地や山村の共同体と生態系の再生が絶対に必要で、それに民族の未来がかかっていると言っても過言ではない。山村の共同体の再生には、人々が大都市から地方へ特に過疎地へのUターンが不可欠で有りますが、現在の段階では人々が地方の農村に帰っても、農業以外の仕事は無い。
過疎化を止めるために企業の誘致に、各自治体が懸命になって行われているが、目立った成果は上がっていない。
都市の住環境の悪化から農村に、移り住む人々も希に見られる様になったが、親はそれで十分でも子供の教育が問題になる。地方の農山村の振興策は既存の手法による方法は出尽くしており、現在の社会制度の元では、出来る事には限りが有りこれ以上出来る事は無い。
この事は根元的な問題として、取り組む事でしか解決出来る問題ではない。過疎地の共同体と生命圏の再生には国家的な規模な事業として、都市の再配置の一環として行われなければならない。
食料やエネルギーそして社会福祉から医療や初等教育から大学に至る教育まで、自給自足可能なコミニティ都市として過疎地に再配備し、それによって共同体も農林業も、生態系の再生も行うと云うのが私の考えです。
過疎地への都市の再配置を行うにあたって既存の手法によって、都市計画されるのでなく森林と農地と都市が一つの系として、つながる形に計画されべきです。
生産と消費の分離はそこの人々と生態系に負担をかける事になる。そこに生きる人々は生産者であると同時に消費者、労働者であり一人の教師、学者であり求道者とならねばならない。すべてのものの境界は消えなくてはなりません。
コミニティでの農業は原則として、肥料と農薬は使用せず、森の樹木と共存出来る手法によらねばならない。現在の都市と農林業との関係は生産地と消費地、生産者と消費者は遠く分離しており、それが様々な問題を引き起こしている。生産地と消費地、生産者と消費者の分離を伴う、大土地所有の企業的な農法は如何なる形態であれ誤りであり、この地球の生態系を単純化し破壊してしまう。生態系の一つとして生命と共存出来ない農業は衰退するこれは歴史的な教訓です。

最新の農業技術では十五平米の土地が有れば人間一人生きて行く事が可能。 人類が食料を生産する為に、牧草地や農場を地表面積の三割は占有しているだろう。見方を変えれば現在の農法ではこれだけの、土地が必要と云う事で有り、土地の所有の形態や食料の生産システムを変えない限り、土地の占有面積を縮小する余地は無いだろう。

必要以上の土地や金を占有する事は罪悪である

土地はガイアからの借り物であり、限りある資源、全ての生命の共有財産でもある。その土地の持ち主で有っても勝手に処分出来る物ではない。 必要以上の土地や金を占有する事は罪悪である。その様な社会規範の確立を計り、可能な限り人類が占有する土地を最小のものとする、食料の生産システムを採用する必要が有る。百億人以上の人間がこの地球で生き続ける為には、過去に日本で行われて来た地域的自給農法でも可能では有ろうが、それを世界的なものとするには限界が有る。広い土地を占有する現在の形態の、農業牧畜業は放棄されなければならない。
ユタ大学での研究によると、十五平米有れば一人の人間が生きるに必要な食料は生産可能と云う。人類は将来百億人程度で静止人口になると考えられているが、このこれだけの人口を養うのに、この狭い日本の二百五十分の一の、たった千五百平方キロで可能である。
宇宙での生活のためアメリカやソ連で研究されて来た技術を活用すべき。都市近郊で行われている電照栽培による野菜の栽培は単なる石油エネルギーの形の転換であり、生産と消費の分離及び物質循環の輪が開いたシステムで、石油の枯渇共に消滅する。
アグリビジネスも生産と消費が分離したものは生態的には成り立たない。人類がこの地球で生き続ける為の農法は、樹木との共存を第一のものとし自然に優しいと云われる、有機農法さえもベストの選択ではない。遺伝子操作によるハイテク農業が期待されているが、生産と消費が一つに一つになる物以外期待すべきでない。住宅は可能な限り高層化させ、農業は土地そのものから離れるべきだろう。最終的には土地は公有あるいは共同体の所有とし、余った土地は元の自然状態に戻す努力がこれからの人類の課題となる。


人類の社会の進むべき道

人類の社会はどの様な方向へ進化すべきだろうか。 どうやら現在人類と文明は進化の袋小路に、迷い込んだ事は確実な事だろう。人類は歴史が始まって以来いや人類誕生以来、とも言える危機的な状況を迎えつつある。人類はこのまま成す術もなく現状維持の姿勢を続け、やがてエネルギーや資源を使い果たし、文明の汚物にまみれ文明の崩壊と共に、この地球から消えて行く運命に有るのだろうか。
他の生命は今人類が迎えつつあるような、危機を何回も乗り切ってきただろう。私たち人類に、それが出来ない訳がない。幸い私達の目の前にほのかな明かりが見える。 それは私たちの社会そのものが生命体になる事、より生命体に近づく事によって成される。
それは社会の中にその社会の機能を全て持ち込んだミニチュア社会を作る。これを海洋や過疎地や丘陵山岳地に建設する。この社会の人口は五千人から数万人ちょうど町や村の規模だ。 わたしはこのシステムを全ての生命の協同体、バイオコミニティと名付けたのだが、これはこの地球の生態系の、ミニチュアモデル、ガラス容器の中に、金魚と水藻とその他の菌類等を入れこの地球の生態系に似せた環境を造り、密封し光を当てるだけでその中の金魚は生き続ける事が出来る。あのモデルを知っている方もいるだろう。 私の提唱するバイオコミニティは、食料の生産システムとその構造物を含めて、人の住む都市そのものを、この地球の生態系モデルの様な形態にする事なのである。

スペースコロニーを地上に建設する

これはあのスペースコロニーを、この地上へしかも海洋や過疎地や丘陵山岳地に、その地の自然を可能な限り改造せず、そのまま取り込み建設する事に他ならない。環境を破壊せず、見掛け上半永久的に持続する、構造物が建設可能である。このコミニティがバイオコミニティと、なるためには幾つかの要件を充たさねばならない。但し、これはあくまでも、進化の最終的な形です。

これまでに何段階かあり、この形態まで一世紀以上、かかるかもしれない。 一つ、最も基本的な、材料とエネルギーを、与えられるなら、自らを複製する、能力を持つ事。コミニティに、増殖機能を与える事で、短期間で世界中に、バイオコミニティを建設する事が可能になる。

一つ、コミニティ内だけで完結する通貨(相対通貨)を持つ事。 外部からの資本や技術に頼らず、社会機能を維持し、さらに複製能力を持たせる為には、コミニティ内部だけで完結する通貨が不可欠。一つ、コミニティ内で使用する、資財一切、循環再利用出来る機能を持つ事。これが最も難しい事なのですが、この概念が、完成しない限り、増殖能力は持てずバイオコミニティとは呼ばない。単にエコポリスと似た、概念にしかならない。そして残念ながら、人類と文明の未来は、暗いものとなる。

一つ、その中に医療、福祉の機能。 これは衣食住と並ぶコミニティの最も基本的な機能の一つで高度な専門職以外はボランティアによって運営される。

一つ、国家の機能や市町村の一部あるいは全部を持たせる。 何れ維持する事が、不可能になる、既存の巨大都市機能を、解体し分散する事で旧来の大都市を、エネルギーや資源の浪費型都市から、省資源自立型のコミニティ型の都市へ変える事を早められる。さらに巨大化し、何かと不都合の目立つ、官僚機構を、各コミニティに、分散する事で、ホロニックな形態の、組織になり、強靭で効率的な、都市と官僚機構にする事が出来る。

一つ、周辺地域の、自然の復元と維持機能。 コミニティ型の都市なら、これまで人が、殆ど住む事が出来なかった、丘陵地や山岳地に、措いても、建設が可能であり。自然と一体になった、生活を営む上で、コミニティ建設地としては、理想的であり。現在人手が無くて、荒れ放題になっている、山林を維持したり、元の多種多様な植生の、山林に戻す事も出来るだろう。現在殆ど崩壊している山村の共同体も再生させる事が出来るだろう。 一つ、その中で、必要とする、一切の職業訓練機能と、初等教育から大学、生涯教育に至るまでの教育訓練機能を持つ必要が有る。

一つ、太陽電池や、風車や水力発電等による、エネルギーの自給と、樹木と共存しながら食料を生産し、自給自足出来る事。一つ、建設地の、町や村取り込み、コンピーター利用の、直接民主主義による、自治の機能。可能なら外交防衛等の除いたミニ国家の機能がほしい。一つ、各種スポーツ、サイコセラピー、禅や各種の学問や芸術などを利用して身体と精神の修養所として、芸術家や求道者や技術者や学者研究者や指導者の養成所としての機能。

一つ、各種の生命の種の保存機能とバイオ・ハイテク等の各種の研究機関としての機能。

一つ、外界の人間が様々な教育や修養や保養のため、あるいはその各種の職業の訓練や研究機関の利用や社会福祉の機能を利用するために自由に出入りが出来る事。このバイオコミニティを、日本全土に建設するなら、仮に南極大陸の大陸氷河が崩壊して、全ての平野部が水没したとしても、外国の資源に頼らず狭いこの日本でも数億人が自給自足で生活出来き、かつ核シエルター型バイオコミニティなら限定核戦争や、最終シナリオまで進まない核の冬や、あの恐竜を滅ぼしたような巨大流星の衝突といった突発事態にも耐え、高度の文明を半永久的に保ち続ける事が出来る。

(但し核ミサイルや、流星の直撃を受けるなら如何なる、核シェルターもその用を為さない。現在の核ミサイルは、その多くが中性子化されており、その恐るべき中性子爆弾は、地下一キロに建設された、厚さ十メーターの鉛で覆われた核シェルター内の、人を殺す能力を持っていると言われる)。

このシステムが世界に普及したときは、国土の広い狭いも資源の多寡も、それ程の意味は、持たなくなるだろう。そして我国の様な平野が少なく、人口の多さと密度の高さは、生きて行くうえでの重荷ではなく一つの資源となるだろう。山地の利用は、土地の創造的な利用と、人間の肉体と精神的な健康の維持の為には、格好の場所である。
我国の様な狭い国が貴重な平野部だけに、過密な巨大な都市を築くのは馬鹿げた事の一つである。このシステムは増殖能力を持つため、短期間で世界へ普及させる事が可能であり、資源とエネルギーがあるなら海洋、孤島、砂漠、山岳、高地そして、本来の宇宙などあらゆる所に建設出来る宇宙に建設されるのがスペースコロニー。つまりバイオコミニティとは地上に建設されるスペースコロニーなのです。核シェルター型あるいは閉鎖型のシステムは、閉鎖的空間で内部の生態系は外部とは隔離されているため、外部への影響は殆ど無い。建設後は外部からの資源を必要とせず理論的には、半永久的にシステムを維持出来る。

これはまたオゾン層崩壊による外部の生態系の壊滅にも強い抵抗性を持たせる事が出来る。 都市の住宅問題や社会的な混乱、過密と過疎問題、教育、福祉、防衛、老人問題、そして環境破壊、人口問題、資源の枯渇や、先進国と後進国の技術、所得の格差や、累積債務の問題を一括して解決し第三世界の国々を、欧米先進国の足枷から解き放つ事になるでしょう。また本来のスペース・コロニーを建設し、人類がが宇宙へ移住するにあたって直ぐに、その技術とシステムの運用のノウハウを利用する事が出来るだろう。
このシステムを、建設する事で地方から都市に出稼ぎに出る、必要も無くなるし人々の持つ潜在的な創造力と才能と能力を開花させ、人類とこの日本に新たなルネッサンスをもたらす事になるだろう。また未来の人々の社会システムと価値観は、たぶんこのようになるでしょう。未来を語る時、経済を除いて語る事は出来ない。国の内部でも相対通貨の導入によってあらゆる、規制は緩和あるいは撤廃され、自由な市場原理によって動いてる部分と、市民の生活に直結した部分は相対通貨の機能によって、殆ど変化しない部分に分かれる。為替が急激な変動し、ハイパーインフレになったとしても、相対通貨の強力なインフレ抑制効果により市民の生活は、殆ど影響を受けないだろう。

社会、教育システムを転換する必要がある

国家と国家の間や企業やバイオコミニテイの間では、通常の通貨による取引が行われるが、人と人の間や人とコミニティの間では相対通貨による取引が行われる。国家と国家や、社会の内部ては、ひとや情報の移動は頻繁に行われても、物資や資本の移動はコミニティ型の都市が普及し、自給率が高くなると共に次第に少なくなり、やがて物資や資本の移動の無い社会定常社会へ自然になって行き、環境破壊も環境汚染も無くなる。人々は樹木や自然と調和した生活を送るだろう。
そのバイオコミニティで通常人々は周囲の自然と、コミニティのシステムが一体化し一つの生命体を構成するような形で生活を営む事になる。 今まで最高の価値を持ち続け、そして人間の持つ否定的な面を、強調し現在の社会混乱、そして環境破壊の源ともなってきた。その金と物に変わって、人格と慈悲と奉仕が、最高の価値を持つ、社会を実現しなければならない。 そのためには教育システムをそして社会システムを、コミニティ型の社会に合う形に転換する必要が有る。
それは中世ヨーロッパの、ユダヤ人の共同体での生活が参考になるだろう。 コミニティ型の社会の比率が高くなっても、自由な市場経済社会は生き残るだろう。日本のような先進国では、その社会システムを変えるにしても現在の経済システムと、自由企業を否定してはならない。現在の経済のシステムは、それが必要だから存在しているのだ。それは新しい社会システム、つまり人格と慈悲と奉仕が、最高の価値となる社会と、自由な競争社会の両方が、一つの国家のなかで共存する社会を、めざさなければならない。それは、ソ連のコルフォーズも中国の人民公社もうまく機能しなかったのに、イスラエルの、キブツだけが現在も機能しているのは成熟した自由な経済と社会の中に、あのようなシステムが在るからだ。


役割を終えた社会システムは静かに消えてゆくべきだ

旧来の社会、経済システムはその役割が終わる時システムの崩壊によって荒々しく革命的に消えるのではなく、静かに歴史の表舞台から消えて行く事を私は望む。社会、経済のシステムは革命等によって人が意図的に変革して行く性質のものではない。
イデオロギーだけによる意図的な変革が、うまく行かないのは現在の、社会主義国が実例をもって、証明している。このシステムの建設によってソ連でも、その他の社会主義国でも実現できなかった、人類が進むべき究極の理想社会を、キリストの言う千年王国を実現できるだろう。そしてそれがまた、人類の種としての完成と、生命進化の最終の到達点ともなるだろう。このシステム建設にあたって、解決しなければならない課題が、幾つか在るが、日本と世界の先進国は、責任を持ってこの、システムの開発、建設にあたらねばならないだろう。それがこれまで掠奪し続けてきた、開発途上の国々と自然にたいする償いとなる。


東京の首都機能を移転

バイオコミニテイ及びバイオポリス建設の為の実験 超過密都市、東京の首都機能を移転させる事が、本決まりになりかけているらしいが遷都にあたって緊急提言したい。移転先の新首都は東京やニューヨークやロスあるいはロンドンやパリといった、都市をモデルとしはてならない。山を削り谷を埋め地表をごっそり剥ぎ取り広い道路を通し、官庁街やオフイス街や商業地区と、住宅街を分けてしまうやり方は誤りです。このやり方で土建屋を喜ばすだけで、計画的で素晴らしく美しい町が出来上がったとしても発展性はないし、かりに発展するとしても、ただ道に沿って郊外へ郊外へと、止めどなく、スプロール化する都市になり、造成地のコストが高くなり、都市造成に伴う自然環境の破壊や、ゴミや車の排気ガスによる環境を汚染し破壊し災害に弱いロスや東京の様な、劣悪な都市になってしまう。

旧来のメガロポリスは石油の枯渇と共に巨大な廃墟あるいは歴史のモニュメントならざるを得ない。
未来都市と言われた、ブラジルの首都ブラジリアは、完成当初は世界中から注目され、賞賛されたのですが、現在は周囲はスラム化し犯罪や環境汚染に悩む、東京以上の劣悪な都市となっております。この都市は西洋の還元主義的な発想によって造成された、典型的な都市であり、これらの都市は現代の物質文明の象徴とも言える都市です。石油の枯渇と共に巨大な廃墟あるいは歴史のモニュメントに、ならざるを得ない運命に有る都市なのです。後三十年もしたら極めて住み難い都市となるはずです。


東京の首都機能を移転にあたっての原則

新首都を建設するに、あたって旧来の基準によって、都市を計画してはならない。都市の計画において、ホロンの考え方を新しい計画の基準として取り入れるべきで、その為の基本原則です。

原則1、新首都は自動車を持っていても自動車を必要としない社会とし、移動には徒歩か自転車と補助的な公共輸送機関だけで出来る様にし、そして通勤通学の無い社会を実現するため自宅から歩いて通える程度の通勤を第一の原則とします。(自宅通勤通学が理想でありますが、それだけでは社会生活は成り立ない。)

原則2、中央にイベント会場を中心とした歓楽街やホテル群と、小規模な都市を配置しこの様な都市を複数にした良い。その都市を幅一キロから二キロの緑地帯を隔て、数十のコミニテイ型の小規模な都市を輪状に配置する。中央地方官庁、医療、福祉、教育その他の公共機関や企業のオフィスそして住宅を各コミニティ毎に分散して配置し一カ所に集中させない。諸官庁の手続きもコミニティ都市そこだけで全て出来るようにする。その中でコミニティ毎に個性を持たせる。そしてコミニティ内で働く者はコミニティ内に住むのを原則とし、そのコミニティ内だけで基本的な生活が成り立つ社会をめざす。というのが大事なポイントです。

原則3、各コミニテイは隣と三キロ以上離して建設し、開発は可能な限り地表を削り取らず地形をそのまま利用する。コミニティを狭い範囲に限定し、その外側は鎮守の森の様な生命のサンクチュアリとし、厳重な開発規制を行い乱開発を防止する。

原則4、山地や大都市のコミニティ内に建設される建造物は、原則として超高層で基本規格さえ守れば誰でも上に向かって増設可能な建造物とし、都市全体の建造物と構造物は取り壊し循環再利用を前提として設計する。地上は人と自転車だけが通行するものとし、自動車の通る道路は原則として地下やむ得ない場合に高架(高架道路は住民への心理的圧迫感を与え周囲の緑の成長阻害そして醜い)を原則とし、公共輸送機関や飲料水や栄養水の貯水漕やその他ライフラインと一体化させるものとし、さらに食料生産プラントの循環水の浄化の為のハウス付きの河川の環境を併設する。この循環水の一部は工業用水やさらに浄化殺菌され飲料水として再利用して使用される。つまり水に関してはほぼ完全に循環使用され不足分は天水で補い、外部からの水道施設に頼ら無くても機能を維持出来る様にする。

原則5、食料やエネルギーを太陽電池や風車によって周囲の建物の屋根や山林で生産し、コミニティデ生産されるたい肥や栄養水は農地や山林に還元し、無肥料無農薬の食料の生産を周囲の農家への生産委託や農家へのボランティア等によって、周囲の農村と一体化を目指す。これらの農村や緑地を教育や研修の場としても使う。

原則6、現在の都市の様に広範囲に殆ど無秩序に配置された都市では、資源を効率的に回収する事は不可能に近い事ですが、コミニティ型の都市なら百パーセントの資源回収も不可能では無い。資源回収の為に各コミニティ毎にリサイクルセンターを設置し、ボランティアの協力を求め資源ゴミの高度分類を行い。有機ゴミをたい肥化し周囲の農地や緑地に粗大ゴミは可能な限り修理し必要する人に配布したり、あるいはいは開発途上国の貧しい人々にに無料で配る。紙等の可燃ゴミも可能な限り焼却せず自ら再資源化する

金属の再資源化は高度な技術と設備が必要な為第一段階では高度分類だけに止める。残りの重金属を含まないゴミは湿式燃焼で燃やし、廃液を周囲の山林や緑地や農地にあるいはいは再循環システムに肥料として返し、残りの有害な物質を含むゴミは専門の処分場に集め再資源化、それが不可能な物は地中深くに投棄する。こうすれば現在の全ての都市を悩ますゴミは数十分の一以下に減少し、ゴミの問題も資源の問題もほとんど解決出来る。原則7、コミニティの住民は自らの専門とする業務の他に、コミニティを維持し建設の為の活動に参加する必要があるが強制では無い。だが相対通貨が適用されるので参加に不熱心なら、それなりのコストを払う必要が出てくる。教育や医療や社会福祉活動やリサイクルセンターの運営、そして周辺の農地や山林の維持活動、そしてコミニティの建設が専門家とボランチィアが組んで行われる。コミニティは原則として週休三日としその内一日はこれらの活動に当てられる。


新文明の建設

この段階では生活物資や食料やエネルギーの大部分を、既存の社会システムに依存するコミニティです。ここまでの段階でしたら、大きな法制度を改革する必要も無く、政治家の決断次第で、直ちに建設に取りかかれます。これ以上の段階に進むに、法制度や技術的な課題等の社会全般に渡って検討する必要がでてきます。何れその段階にまで進まなくてはならないのですが、緊急の課題としての新首都の建設ではこれで十分。

もう一つアイデアを提供しましょう。それは東京では中止になった、都市博覧会を開催しながら、建設をする事です。鈴木前知事のアイデアは、すばらしいと思いますよ。ただ新首都は形は似ていても、その本質は全く別の物です。この第一段階のコミニティ建設だけでも都市における過密や、過疎や通勤地獄の問題や地価や交通渋滞や都市の孤独や、ゴミ戦争と言われるゴミの問題、やがて到る来する超高齢化社会等の都市における、諸問題は一度に解決する事が可能です。
新首都が完成したらは平野と丘陵と山岳が、一つの都市となり木々が生い茂る緑地の中に超高層ビルが所々にたっている様な、世界でも最も美しく住み良い都市になっているだろう。首都遷都は世界の歴史においては、珍しい事では有りませんが一国の歴史においては数百年に一度の事で有り、歴史の大きな転換点に起こるものです。ただ近年世界の国々で行われた、首都遷都はその大部分が失敗と言えるものでした。わが国でおこなわれる時は単なる首都遷都で終わらさず、新文明への転換点としなければなりません。
新首都は新文明建設へのモデルとならねばならない。 バイオコミニティの建設 現在の文明の諸問題は、都市の在り方の誤リにより起こる。我が国の新首都の建設の経験を通して、さらに地方都市を遷都させ都市を全面的に再配置し直す。
さらには先進国の諸都市や開発途上国の都市遷都を実行し順次進化させる事で、現在の文明で起きている諸問題の殆どは解決出来る。物質文明以前の江戸時代の様な地域的自給自足の農耕社会や文明以前の狩猟採集の社会に帰る事は不可能な以上、酸性雨や人口爆発に伴う砂漠化等環境問題を根元的に根絶する手法はこの方法しか無い。
コミニティの建設にあたって新首都の建設だけでしたら、従来の手法と政府資金だけで十分ですが、地方都市にまで遷都を進めるにあたって最大の問題となるのが、やはりと言うべきか資金の問題で有ります。我が国でも近い将来に超高齢化社会や高い失業とインフレが予想され、政府はその中で資金不足によって政策的な余裕を失い政府だけで建設資金の調達は、まず不可能と見るべきでありましょう。
建設には膨大な数の技術者や労働者が必要になります。常時その様な数の人手を確保する事は難しくなるでしょう。ではどうやって建設を進めるべきか。それはコミニティというシステムの中に新コミニティの建設をシステム化するやり方が有ります。
それを補助するために相対通貨の導入も必要となるでしょう。こうする事で、政府は基本的な材料と、建設用地を確保するだけで済みます。第一段階のコミニティ型の都市では個々のコミニティは完全な自給自足をする必要は無く、個性の有るコミニティグループ全体としてエネルギーや食料その他の社会サービスを自給出来れば十分です。コミニティ型の都市が多数集まって大きな都市を形成する事になる。都市コミニティ。 都市コミニティを構成する、教育コミニティや、工業コミニティ、企業コミニティ等の言えども基本的な医療や社会福祉等の社会サービスを自前で供給する必要が有るがエネルギー食料は自給出来なくても良い。
農業コミニティ。 第一段階のコミニティでは機能の分化した各種のコミニティによって都市コミニティが構成される。食料やエネルギーを自給出来ない都市型コミニティからの環流資源によって穀物等の農産物の生産を目的としたコミニティです。

山岳丘陵コミニティ。 都市や農業コミニティで必要になる電力等のエネルギーを生産し併せて破壊された環境の復元と森林の維持や保養や教育修養あるいは都市の住民のリクレーション施設としての機能等も併せ持つ。

第二段階のコミニティではエネルギー食料の自給率をどうやって高めて行くかが問題になって来る。第一段階の都市は既存のエネルギー食料の生産システムに依存するのだがこの段階に止まるる事は許されない。周辺の農業コミニティとの連携が不可欠であり都市で生産された栄養水やたい肥は、これらのコミニティに還元されねばならない。この狭い日本でも海洋や山岳地に建設された食料や太陽電池設備とコミニティの結合で十分食料やエネルギーの百%自給は十分可能だし、ずっと先にミグマ炉等による核融合発電等が実用化したなら、シンガポール等の都市国家でも食料やエネルギーの自給は可能になるだろう。

第三段階になると建築構造物から日用品や耐久消費材まで循環再利用を前提に設計生産される。企業の存続がかかって来るので企業の協力は期待出来ないだろう。だがこれは人類と文明がこの地球で生き続けるには絶対に必要な概念である。コミニティ自身がそれぞれ生産する事になるだろうが、自由企業が生産する物より遥かに高くなる。だが見かけ上は半永久に使用可能な日用品や耐久消費材が生産出来る。コミニティで使う様々な機械はコミニティ自身で生産する様にしなければならないが、この段階の前から様々な技術者や技能者の養成が必要になって来るだろう。

共同体での技能者は小量で多種多様な種類品物の生産と修理に従事するために広い範囲の知識や技能が必要になる為高度な職業訓練機能と、コンピュターの高度な利用が不可欠になる。第三段階において一番大切な事は現在の様に同じ商品でもメーカーによって使われている部品も構造も違う為に、型式が古くなって生産が打ち切りなった場合、相互に部品の融通が出来ない為に、その商品全体をゴミとして処分しなければならない。この様な状態から、規格統一によってメーカーがちがっても家電や家具や部屋の内装に至るまで部品の交換だけで再生出来る様にするべき。建物構造物も耐久年限きたものから少しずつ交換できるよう設計段階から考慮が必要。

コミニティを維持するために必要な機械類まで規格を統一し、部品の融通が出来るようにしておくべき。この頃ニなれば専門的な職業とコミニティ維持の為の仕事が半々くらいになっているだろう。専門的な仕事が無くてもメコミニティ維持だけの仕事だけで生きて行ける。一部分しか外部に頼らなくてもよくなる。 金属も恒久的に、再利用出来る様になってこの段階卒業 コミニティの運営にあたって国から教育や医療社会福祉の業務の移管を受けさらに国や企業からコミニティの新設や増設を請け負う。
コミニティそれらによって得た資金によって運営資金とする共に自らコミニティの建設をするようにする。国は教育や社会福祉などの各種の業務を共同体に移管することによって、それにかかる経費がいらなくなる。つまり企業や国民が払う税金を限りなくゼロにする事が可能となるのです。 第四段階バイオコミニティほとんど完全な物質循環の能力を持つ。周囲に有る材料を使って自らの体や機械を作る事が出来る事。最終的には閉鎖型になる。

人類を新たな進化へ導くのものは。 自然を搾取することで成り立っている、文明はどのような文明であれ衰弱し滅亡することは避ける事は出来ない。そして人々の心の荒廃は文明と自然の荒廃に繋がる。これが古代文明の残した最も貴重な遺産です。現在に生きる全ての人間は、あの廃墟と荒野と塩の砂漠の語る言葉の意味を真摯に受け止めねばならない。

しかし人類は古代文明の残した貴重な教訓を生かせず、同じ過ちを地球的な規模で繰り返しているのです。現在の化石燃料文明は、全地球的な文明です。石油の枯渇と世界的な森林の消滅によって、この文明が滅びる事はもはや避けることは出来ません。もし森林消滅後も石炭を使用しこの物質文明を維持しょうとするなら、フロンガスによるオゾン層の破壊による紫外線や炭酸ガスによる温室効果でこの地球は人類はもとより、どんな生命も生存できない惑星になる可能性さえある。私たち現在に生きる人々は古代の人々と違ってこの地球で生きて往く事が出来なくなったら。人類はもう何処にも行くところは無い。

しかしまた現在は此迄の物質文明をこえる文明の芽をすでに内包している。それはまたこれまで人類が数千年間にわたってもち続けてきた、価値観を放棄しなければ実現し得ないものです。自然を搾取し破壊し続ける事は、絶対に許される事ではないからでです。いま人類は現在までの流れを止めることが出来ず、滅亡してしまうか、かあるいは意識的進化を成し遂げ、新文明を誕生させるかの、瀬戸際に人類は立っている。 しかし新文明への道は険しいものがあります。それは一人一人の個人の心の在り方にかかっているからです。新文明は一部の学者や、政治家、官僚あるいは宗教家など、一部のエリートによって成し得る文明ではない。

日本人はユダヤ人と同じく人類史に宿命的な役割を果たすべく存在する民族です。

ひとりの人間として目覚めたあたり前の市民、つまり労働者や主婦や学生やサラリーマンが、自らを縛りつけ枠のなかに押し込め、人間としての思考と行動を妨げているものに気付き。何者にも何事にも己自身にも束縛を受けない、純粋な意識を持つ一人の人間として行動する事で、それを断ち切る事が出来る。これが本当の意味での自由です。これが有るべき人の姿です。それによって成し得る文明は人類が到達し得る最終の文明です。それはまた人類の種として生命としての完成と成熟をも意味し、人間の最後の到達地点でもあるのです。それには一人一人の個人の、意識的な変革が必要不可欠なものとなる。その文明が最初に誕生する国は我が国、日本となるはずです。我国はそうならなければ生き残る事が出来ない国であり民族なのです。我々日本人はユダヤ人と同じく人類史に宿命的な役割を果たすべく存在する民族です。

白人による世界の支配を打ち砕いたのもその一つであり、明治維新がギリギリのリミットでした。我々が立ち上がるのがもう少し遅かったらそれは不可能で、半永久的に強欲な白人支配の世界が続き、我々有色人種は家畜並の扱いしか受け無かったでしょう。幸いにしてわが国は第二次世界大戦に負けました。しかし白人にその誤りを気ずかせる事でその事は達成する事は出来ました。しかし我々日本人の役割はこれで終わった訳では無い。

日本での新文明建設の試みが失敗するなら人類に望みはない。
もう一つ我々には大きな仕事が残っております。これが私達が存在する本当の意味ではないでしょうか。しかしもしこの日本での試みが失敗したならば、残念ながら私達にも人類に未来は無い。人類の未来はこの本の読者である、貴方によって人類の未来は決まります。もし私達がが手をこまねいて何もする事が出来ないとしたら。
そしてもし私達ががそのような事は政治家や官僚や学者のする仕事、我々には関係ないと思うとしたら。新しい文明の芽は枯死し、人類に未来はなくなり、そしてまだ見ぬ子供や孫たちは現在のアフリカや戦後の混乱期を悠かに凌ぐ、貧困と飢えによって、その若い命を落とさねばならないでしょう。
そしてこの地球は金星のような惑星になってしまうかもしれない。その新しい文明の芽は、私達が人間として、出来る事をする事でしかその芽は開きません。生命として人間としての純粋さと、愛という、水と肥料を与えないかぎり育ちません。数百万年前人類のそせんが二足歩行に立ち上がった時のように、まずから歩み始めねばなりません。この人類を新たな進化への道へ導くために。
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